小田急新4000と、私鉄文化と今後の展望。

 ここのところなかなか本屋に行けなかったので、今月の鉄道雑誌とかまったく見ていなかったのです。というわけで遅ればせながら今日各誌を確認してきた。とりあえず見ただけで買ってないけど(買えよ)。
 で、やっぱり注目したのは小田急新4000の紹介記事だ。もう沿線の人はけっこう見ているのだろうが、今年に入ってから小田急線には2回しか乗ってない(長野に住んでるんだから当たり前だが、これだけ小田急に乗ってないのは生まれて初めてだ)ので実車を見たことはない。だから写真とはいえ、一応の全貌を見たのは初めてだ。
 プレスリリースが出たときにも思ったのだが、前面デザインはやっぱり東急300に似ている気がする。恐らくライトの形状と窓の上下を青塗装にしたデザインがそう思わせるんだろうが、予備知識なくこの車両を正面から見たら小田急だとは思わないだろう。
 小田急通勤車伝統の青帯はロイヤルブルーから「インペリアルブルー」という色に変わったそうだが、今までより濁りのない、やや青みの強い感じか。もっともロイヤルブルーも時期によってだいぶ色味が違ったように思うし、写真だとなんともいえないが、なんとなく台北捷運っぽい*1
 はっきりいって他はE233ですね、という感じ。3000形の増備途中でせっかく大型化された側面の種別・行先表示が小型になっているのはあまり納得いかないが(構造上の都合で無理なのかもしれないが)、E233はとてもよく出来た電車なので、いい車両になっているだろう。



 …「いい車両」だろうとは思うんだが、正直言って琴線に触れるものは特にないのも事実だ。
 最近の関東私鉄各社の新車は乗ってみればどれも快適だし、デザインもそこそこ洗練された車両が多いと思う。東急5000、小田急3000、京王9000、京成新3000etc…。でも、それはなんというか「工業製品としてよく出来ている」という感じであって、一時期までは確かに感じられた「各社が満を持して送り出す作品」という感覚は失われた。個人的な感想で言えば、そういう感じを受けたのは京王8000までだった。東急の3000が登場したあたりで流れが変わったな、と感じた。どう見ても三田線6300のマイナーチェンジにしか見えないこの車両は「当社の電車がどれも切妻の似た外観なのは、単なる美的感覚ではなく機能性に基づいてデザインしているから」*2という東急独自のポリシーを、あっさり放棄した車両に見えたからだ。肯定的な捉え方をすれば、そういう考えが機能性、経済性において必ずしも優れない、新しい時代になったんだと思う。
 確かに通勤電車にオリジナリティとか「作品」性を求めても仕方がないし、そんなことより低コストの新車を大量に投入したほうがサービスとしてもいいに決まっている。海外の都市鉄道のシステムを見ても、大体はメーカー規格品を少しカスタマイズしたという程度で、各路線の個性といったものは特に感じないことのほうが多い。要するに鉄道というのは、都市の装置としては「水平移動エレベーター」なんだからそれでいいのだ。
 しかし、世界にも例を見ないほど都市近郊私鉄の発達した日本で、私鉄各路線の「沿線文化」を創ったのは、駅ビルやデパートや住宅地や、というのももちろんそうだが、「車両」という要素もかなり大きかったんじゃないだろうか。マルーンの阪急は当然として、関東でも東急といえばあの無機的なステンレス車体が不思議な上品さを醸し出していたりと、沿線住民なら「地元の電車」になんとなく造形的なイメージを持っているはずだ。単に色の問題ではなくて、そういうのは普通の人にも分かるのだ。相鉄の駅で向かいのホームに停まっていた登場直後の10000系を見て、近くにいたヤンキーの兄ちゃんは「これ相鉄か?京浜東北線みたいだな」と言っていた。塗装の問題だけならそうは思わない。
 鉄道各社が「総合生活産業」化していく中で、逆にそういった各私鉄沿線独自の目に見えない「文化」とか個性というのはこれからどんどん消えていくと思う。各私鉄系列のデパートはそれぞれイメージがだいぶ違うが、「駅ナカ」は私鉄もJRもはっきりいって大差ない。そんなイメージより、今は安さやどのカードが使えるかとかいった利便性のほうが重要だ。路線延伸や新駅設置と同時に周辺を開発し、独自の文化を持つ「帝国」を築きあげる、という今までの私鉄的発想は、車両の面から見ても終焉を迎えているのかも知れない。

 …とかいって、単に俺が年とっただけかもしれませんが。
 新4000の登場で、自分と同世代の5200が廃車になる。俺の人生はたぶん新4000が廃車になり、次の世代の車両が千代田線直通運用から降りるあたりまで続くんだろう。順調にいけば。

 もうすぐ29になります。

*1:台北の地下鉄は帯の色といい太さといい本当に小田急みたいだ。

*2:東急2000系登場時のRailMagazineの記事にこんなようなことが書いてあった