福知山線事故の最終報告書

 航空・鉄道事故調査委員会による福知山線脱線事故の最終報告書が出た。あれだけの事故だから当たり前なんだが、本文だけで275ページある膨大なものだ。報告書はここ(pdf)

 事故の原因として、JR西日本の懲罰的教育制度「日勤教育」への恐れが異常運転に結びつき、事故の原因となった、というのはよく言われている。じゃあなぜJR西日本は「日勤教育」を必要としたのだろうか?
 この報告書を読むと、JR西日本は本来なら設備を改良するなりして解決すべきスピードアップやさまざまな問題点を、基本的に人に押し付けることによって済ませてきたことがわかる。「日勤教育」は、運転士にプレッシャーを与えることでほとんど不可能に近いダイヤを無理やり実現させるための「道具」だった。懲罰的な制度による圧力の存在以前に、達成不可能に近い目標というプレッシャーが運転士に課せられていたように思える。「日勤教育」の存在が運転士に与えたプレッシャーはものすごく大きかっただろうが、はっきりいってもし「日勤教育」がなかったとしても、いつかこの事故は起きていたんじゃないだろうか。

 JR西日本アーバンネットワーク区間では、停車駅が増えても所要時間が変わらなかったり、あるいは特に大規模な線路改良なしでも高速化が進んでいったのは、鉄ヲタなら沿線利用者でなくても知っていることだと思う。そういった「曲芸的」ダイヤは鉄ヲタ界ではけっこうもてはやされていたと思うのだが、その実態は特に何の対策もなくただひたすら運転時間や駅の停車時間を削っていただけだった、というのが明らかにされている。
 特にすごいというか生々しいなと思ったのは、伊丹駅の停車時間を20秒→15秒にしたときの担当者の口述だ。これは快速の停車駅が増えた(中山寺)ときに、片町線の単線区間での列車交換を遅らせないためにどこかで所要時間を削れないか考えた結果、伊丹駅での停車時間を5秒削ったことについて述べているのだが、

 なお、駆け込み乗車がない場合であっても平均的に17〜18秒要していた伊丹駅停車時間を運行計画上15秒としたことについては、整列乗車を慫慂することにより15秒に抑えることができるし、また、伊丹駅〜尼崎駅間の運転時間を実測したところ約5秒の余裕があったので、問題ないと考えたことによるものである。

 ダイヤを作った時点で、何もなくても15秒停車では無理、と担当者も分かっていたのだ。事故後に「机上の空論」として叩かれた曲芸的ダイヤは、実は机上の段階ですら無理があったということだ。ついでにいうと、伊丹駅での整列乗車は実行されなかったと書いてある。

 さらに、ダイヤの作成システムにつかっていたデータそのものが底上げされていたこともわかる。基準運転時間を決めるための運転曲線作成システムに入っていたデータは、実際よりも加速のいい車両(全車が207系0番台)で、しかも通常は使わないことになっている高加速スイッチがONの状態で、その上で通常は使わないとされている力行6ノッチ投入時の加速性能になっていたと記されている。普通、運転曲線はその路線内で一番性能の低い車両を基準にして決めるものだろうと思うんだが(性能の劣る旧型車を全廃した路線が速くなるのはそういうことだろう)、JR西日本では実際の営業運転ではありえない「レース仕様」みたいな状態がベースになっていたということだ。それじゃどう考えても時間通り走るのは不可能だろう。

 基準運転時間については他にも注目すべき記述があって、「ある関西大手私鉄」の方式(「最高速度及び制限速度より3km/h低い速度を超えないように運転するとして計算」etc.)で宝塚―尼崎間の基準運転時間を計算すると、JR西日本のより10秒長くなるんだそうだ。国鉄―JR化初期はほぼ同様の方式(最高or制限速度より2km/h低い速度を超えない)だったとも書いてある。つまり、JR西日本も昔は余裕を見込んだダイヤ編成をしていたのが、手当たり次第にどんどん余裕を切り詰めていった結果、ほとんど実現不可能なダイヤができあがってしまったということだ。

 その「実現不可能ぶり」は、報告書で当然指摘されている。

 5418Mの運行計画は、始発駅である宝塚駅の出発が遅れ、その後も遅延が拡大し、事故前平日65日間の半数以上の日に1分以上遅延して尼崎駅に到着するという、定刻どおり運転されることが少ないものであったと考えられる。

 事故現場は制限速度120km/hの直線から制限70km/hのカーブに突っ込む区間だが、ここだってギリギリまで最高速を維持しないとまともに走れない状態だっただろう。一般にカーブでのスピードの安全限界は最高速度×1.4倍程度だそうだが、すると100km/h以上出ていたらすでに危険だ。JR東海のATSは西日本とほぼ同様のATS-ST(Pに変えるそうですが)だが、この事故が起きた当時でも、制限速度の差が40km/h以上となる場所には速度照査用の地上子を設置していたそうだ。当時の福知山線にはそういった設備もなく、それでいて30秒以上の遅れが出た場合には「列車遅延時分の報告」、1分以上遅れると「反省事故」→例の日勤教育、となっていたんだから、これは運転士のミスが何もなかったとしても、単に混雑で遅れが出た時点で「死ぬか罰を受けるかどっちかを選べ」って言われているのと同じではないか?

 ダイヤ担当者が時間を少しずつ削るのだって、好き好んでではなく「業務命令」でやっているのだ。「こんなダイヤ無理です」なんて言おうものならきっとクビだろう。線路設備担当者だって予算が少ない中で、より高速運転の路線を整備していかなくてはいけなかっただろう。「プロなんだから」「安全のほうが大切云々」と言うのは簡単だ。でも果たしてそういう場面に直面して、自分は素直に罰を受けるほうを、意見を述べて左遷されることを選べるか?うまくいけばなんとかなるかもしれないのだ。会社の方針が「効率>安全」となっている時点で、現場の人にだけ「高い倫理観」を求めるのは酷だ。それは不可能な目標を現場に押し付けた経営陣と同じ考えといえるだろう。

 それに、たとえ懲罰的教育制度がなくなったとしても、軽微なミスが一度でも起これば取り返しのつかなくなるダイヤの中で、責任感の強い人ならギリギリの回復運転を行うだろう。そこでもし十数秒ブレーキのタイミングがずれていたら、その区間に何の機械的バックアップもなかったら、結局は同じことが起こるんじゃないだろうか。

 一番の責任は、じわじわと余裕を切り詰めた現場の個々人でも、実際に「日勤教育」を行った上司でもなく、そもそもそうでもしないと達成できないような業務命令を下し、かつそのための設備投資を怠ったJR西日本経営陣にあるのは明らかだ。
 事故調でも国交省でも兵庫県警でも、今のダイヤ編成がどうなっているのかもう一度きちんと調べたほうがいい。神レベルじゃないと実現不可能な業務命令が続いている限りは「日勤教育やめました」だけで解決する問題とは思えないのだ。